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大切なのは成功体験だけじゃない。後輩たちが救いを求める小柳ルミ子の「優しい強さ」

100歳を超えて生きる。そんな暮らしが当たり前になるこれからの時代。残りの人生、何をしたいか。自分にとっての幸せとは何か。100歳まで生きた自分に向けた「手紙」を、福岡ゆかりの方々に綴ってもらいました。どんな想いが込められたのか、真意を探ります。


◆#100レター vol.5 小柳ルミ子さん

◆「今日から始める」大切さ

——まず、お手紙の字があまりに達筆で驚きました。

いえいえ、昨年末に右手を骨折してしまって……本当はもうちょっと力強いんです。だから少し不本意なくらい。お習字は、小学校の低学年から習わせてもらいました。

——小さいころはたくさんのお稽古をこなされていたそうですね。

母が、「女の子を産んで歌手にする」と決めていたんです。ですから3歳のときにクラシックバレエを始めて、一番多いときで8つの習い事に通っていました。60年以上前ですから、福岡といえど、お教室を探すのも大変だったそうです。

自分の中で「芸事で生きていこう」と決めたのは、中学に入ってから。それまではバレリーナになりたくて、トゥシューズを抱いて眠るくらい好きだったの。でも母が、「バレエだけじゃ生活していけんとよ」って(笑)。それじゃあ、歌って踊ってお芝居をするエンターテイナーになろうと思うようになりました。振り返ると、環境にも人にも本当に恵まれましたね。

——そこから、71歳の現在まで志を貫き通されてこられたのですね。若い頃と変わらぬスタイル、パフォーマンスには惚れ惚れしてしまいますが、秘訣は何でしょうか?

筋トレ、ストレッチ、バランスのいい食事……1日も欠かすことなく、たゆまず積み重ねてきました。だからきびきび動けるし、元気に過ごせるし、昔と同じ服を着ることができる。しかも「衰えていない」だけでなく、30代より今のほうが体は柔らかいんですよ。

でも、トレーニングにお金や時間をかけているわけではありません。テレビを見ながら、家事をしながらって「ながら時間」をうまく使っています。私にとっては、おうちがジムなんです。

——いつごろから「おうちジム」を始めたのでしょう?

激しく踊るようになった30代からですね。「一生踊れる体でいたい」「ボディラインを維持したい」という気持ちで始めて、気づけば40年続いています。筋肉のつき方や、どこをどう動かせば引き締まるかといった体の構造も勉強しました。ただ、好きなものを食べると自然とバランスのいい食事になっているのは、母の食育のおかげかもしれませんね。ありがたいです。

——40年はすごいです。ルミ子さんの圧倒的な継続を前にすると、「今さら始めても」と手遅れに思えてしまいます……。

みなさん「もう遅いですよね」とおっしゃるのですが、そんなことは絶対にありません。「もう」なんてない。逆に、若い方も「まだ大丈夫」なんて思っちゃいけなくて。

大切なのは、今日から始めることです。明日でも1年後でもなく、今日から。まずは理想の自分をイメージするといいですよ。10年後、30年後の自分を想像して、「颯爽と歩いていたい」「お腹がぽっこり出ていたら嫌だな」って。

そういえばね、71歳になったときに新しいヘルスメーターを買って、体年齢を調べてみたら36歳だったんです。「嘘でしょう?」と思ってもう一度計ったら同じ結果で、「やればやるだけ体は応えてくれるんだ!」ってとてもうれしかったですね。

◆「ルミ子さんの家は病院だ」と言われる理由

——体だけでなく精神的にも「強い女性」の印象もあるルミ子さんですが、落ち込んだりはしないのでしょうか?

落ち込みますよ!一度とことん悩んで、その後ポーンと浮き上がるタイプです。底に着いたら、あとはもう浮き上がるしかないから。でも、切り替えは早いですね。

もちろん本当に苦しいときは、「どうしてわたしが?」と自分の人生を恨むこともありました。でも、そういうときは自問自答するんです。「ルミ子はこれで負けちゃって終わりなの?」って。すると、「そうじゃないよね。あんなにつらいことも乗り越えてきたじゃない」と思える。

そんなふうに過去に乗り越えたことが自信になるから、成功体験だけでなく悩みや苦しみも大切なものです。ただし、問題からは逃げないこと。一度逃げると、逃げつづける人生になってしまいます。重たくても大きくても、扉は自分の力でこじあけていかなくちゃ。その渦中にいるとなかなかそうは思えないけれども、大丈夫、必ず抜け出せますから。

——ルミ子さんの「渦中」の振る舞いとして、ワイドショーに事実ではないことを叩かれたときも反論せずに黙っていたと伺いました。なぜでしょうか?

真実は、当事者しか知りえません。だから、どんなに悪く言われようが、自分を裏切らず胸を張って生きられればそれでいいと考えました。真実は墓場まで持って行こうって。そうして自分を大事にして信じてあげないと、「私」を否定することになると思ったんですね。

——お強いですね。

たしかに私は、苦難をどう笑顔に持っていけばいいかの術はたくさん知っています。でも、みんなが私のように強い人ばかりじゃないこともよく分かっていて。だからこそ最近は、深く悩む方のお力になりたいと思うようになりました。

じつは、「ルミ子さんの家は病院だね」ってよく言われるんです。昔から悩んだり思い詰めたりした後輩たちがよく我が家にやってくるんですが、みんな、少し話すだけで気持ちがすーっと晴れたと言ってくれて……。

——ルミ子さんのしなやかな強さや優しさに触れると、肩の力が抜けるのでしょうね。

そうだとよいのですが。悩みを抱える方に寄り添う、お話を聞くようなお仕事や機会があれば、ぜひともお受けしたいと思っています。

◆人生経験を重ね、いらないものをそぎ落とす

——世間には「若さが価値」という風潮もありますが、加齢について、ルミ子さんはどのように考えていらっしゃいますか?

年齢よりも、あり方が大切だと思います。考え方やエネルギー、情熱……20代でも老けている人はいるし、70代でもギラギラしている人はいますよね。私だって、まだ何かしようとしているんですから! 

——では、年を取ることをネガティブに思ったことはない?

ええ、まったく。年は「重ねる」ものだなとつくづく思います。経験も、優しさも、思考も、どんどん重なっていく。逆に、いらないものはそぎ落とされていきます。人間関係も、仕事も、おしゃれも、時間の使い方も、研ぎ澄まされていく。

若いころは欲も情報も多過ぎて、「あれもこれも」となりがちでしょう? でもだんだん「これはいらないな」「ここは掘り下げよう」と、大切なものが見えてくるんです。

たしかに日本は「若いほうがいい」という意識が強いですよね。ピチピチした子が人気というか(笑)。もちろん若さゆえのすばらしさもありますが、年齢ごとの素敵さってありますから。本当に悪くないものですよ、年を重ねるのは。

——では、最後に。100歳に向けて挑戦したいことはありますか?

もっと歌がうまくなりたい。いつでも踊れるよう鍛えていきたい。そして先ほども言ったように、悩んでいる方のお力になりたい——71歳の今、その思いはすごく強いです。

ともかく生きている間は、人を元気にする活動をし続けたいんです。パフォーマンスでも、言葉や存在でも。そのためにも、今と変わらない日々を送る100歳になっていたいですね。


<Profile>
歌手 / 俳優
小柳ルミ子(71)
福岡県出身。宝塚音楽学校を最年少で委員長を務め、首席で卒業する。歌としては1971年「わたしの城下町」で日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。NHK連続テレビ小説「虹」で女優デビューを果たす。