見出し画像

「楽しいって深い」クリエイターが語る「長生き」について【銀ソーダ×松隈ケンタ対談】

今回登場していただくのは、アーティスト・銀ソーダさんと音楽プロデューサーの松隈ケンタさん。福岡を拠点に精力的に活動しているお二人が、「人生100年時代を自分らしく生き抜くために必要なことは?」をテーマに、自身の活動について、ふるさと福岡への思いと、今を楽しむということ、未来の夢などについて語り合いました。

(写真右)松隈ケンタ
音楽プロデューサー、作詞/作曲/編曲家。久留米出身。2005年メジャーデビュー。バンド活動休止後にプロデューサーとして活動開始。女性グループ「BiSH」のサウンドプロデュース他、柴咲コウ、香取慎吾等に楽曲を提供。2020年には13年ぶりに自身のバンドを復活。

(写真左)銀ソーダ
福岡市出身。2018年九州産業大学芸術学部デザイン学科卒業。国内外にてアートフェアに出展し、2020年から祖母・母と通っていた福岡箱崎の銭湯跡地「大學湯」の建物保存利活用プロジェクトメンバーとして運営も行い、活動拠点としている。

■2人のこれまでと、ふるさと福岡への思い

松隈:松隈です。よろしくお願いします。ところでここ(対談の会場:大學湯)は銀さんのアトリエですか?

銀:アトリエでもありますし、親子3代で通った銭湯の建物の運営を、法人としてさせてもらっています。銭湯がなくなったのが10年前。建物をつぶして駐車場、マンションにするしかない、という人が多かった中、唯一、創業者のお孫さん(現在の大學湯を運営する法人の代表理事)が、「ここは、ばあちゃんの大事な場所だから残さないかん」と。ただ、その方は東京在住なので、4年前にここを活用する人を探すイベントに参加したのがきっかけです。

松隈:ぼくは高校まで久留米にいて、久留米や福岡でライブ活動をして2005年に上京しました。でも全く鳴かず飛ばずで、3年でバンドは解散、バイト生活に。でも何か小さくても一旗揚げて、成し遂げてから帰りたい、曲を提供したり、アイドルやバンドをデビューさせたりする仕事をやりたいと思って。

2010年くらいから作曲家としての仕事をもらえて、ヒット曲に関われるようになったので、帰るならタイミングは今だ(笑)と。
それと娘が生まれたから、完全にしゃべりだす前に帰ってきたかったんです。博多弁を話すように(笑)。そのタイミングで2018年に戻ってきて、今は東京と福岡、行ったり来たりしています。

銀:私も東京に憧れはありましたが、メイン拠点を福岡にしたかったのはずっとあって。東京は刺激的だけど、やっぱり住むより展覧会で行くくらいがちょうどいい。でも福岡にずっといたいとは思わなくて、行き来したい。常に客観的に見られて、新鮮な気持ちでいられるから。それを世界でやってきたいです。

福岡を出て地元のありがたみや良さに気が付いたし、東京で地元のことを聞かれて何も語れない自分が恥ずかしいし。こんなに長く住んでいたのに何一つ魅力を分かってないってどうなの、と思うようになって…。地元でも何かできないかと思ったタイミングで大學湯と再会したので、ここで次の基盤を作っていこうと決めました。

松隈:東京と福岡に拠点があることで両方の良さが分かる。

銀:私も大學湯に逆に東京の人たちが来てくれるようになって、自分がやりたかったことはこれだ!と。「銀ソーダさんの作品は東京でいつでも見られる」と言われたので、福岡に来ないと見られない表現もしていこうと思いました。

■私たちが歩む未来と「福岡100」


福岡市:お話の途中ですが、ここで福岡市から今回お二人に取材をさせていただいた背景を少し説明させてください。

2040年、福岡市に住む人の3人に1人が65歳以上の高齢者になり、要介護認定者数は2015年の2倍になると予想されています。介護施設の人材不足や、医療費や介護費用の増加をどうするのか、などの課題があります。

そこで、超高齢社会に即した社会システムづくりのため、福岡市が2017年にスタートしたのが「福岡100」プロジェクトです。

2022年には、「福岡100」のコンセプトをアップデートし、健康寿命の延伸はもちろん、性別や年齢、生まれ育った環境、障がいの有無などに関わらず、自分にとっての「幸せ」や自己実現に向けて行動できる、持続可能な社会を目指すことにしました。

新しい「福岡100」のキーワードは「活躍」「つながり」「自己選択」。まさにお二人が今、体現されていることですよね。

松隈:福岡は活気があって若い人が多いといわれていますけど、高齢化は福岡市でも課題になっているんですね…。
 
銀:私は小さい頃からおばあちゃんと母と一緒に暮らしていて、おばあちゃんがつい数日前に骨折してしまって…年齢を重ねると体の自由がきかなくなるんだなということをすごく身近に感じるようになりました。

■人生100年時代を自分なりに捉える

銀:私は大人になってからのことを小さい頃から考えていました。ひとまず、健康に長生きしないと楽しくない、という思いは漠然とあって、先を見据えたうえでアーティストという生き方はいいな、と。逆に健康でないとできないことだと思います。
最終的には作品を作りながらアトリエで死にたい。周りには迷惑かもしれませんが(笑)。

銀:大學湯の取り組みを始めてみると、小さい子から80代まで来てくださるんですよ。もともと銭湯はコミュニティの場だったので、それをやっぱり生かしたくて、わいわい楽しくワークショップをやったりするんですけど、近所の80代のおじいさまが、「私の描いた絵を見て意見をください」と…。
 
そんなまっすぐで、何歳になっても向上心のある方を見た時に、「ああ、私もこうありたい」と思って。よく作家さんも来てくださるので、そんな方々を見て、少しずつ、自分も楽しんでいるというか、人が心から楽しむことをこの場でできているのかなと。それって、健康に生きることにつながるんじゃないかなと思って。
  
生きがいややりがいがあると、すごく一生懸命になれるし自信が持てて輝きますよね。本当にやりたいことに気付ける場を作っていきたいし、自分もそんな輪に入っていきたいな、と感じています。関わり始めた当初はそんなに鮮明な意識はなかったけど、人がここで楽しそうにしている姿を見ると、コミュニティって大事なんだなと思います。
だからうちのおばあちゃんも80代で、元気なんですよ。私と毎日けんかするから、ボケる暇ないって。

松隈:二人とも大人なのに、けんかすることってあるんですか?(笑)

銀:きっかけは小さなことなんです。ものを別の場所に動かされて「触らんでって言ったやん」とか(笑)
1人で暮らしていらっしゃるおばあちゃんに、「あなたのところはいいとよ。娘さんも孫ちゃんもいっしょに暮らしてるけん。1人は寂しいよ」と言われるみたいで。同じ年代でも全然表情というか活力が違う、と思ったときに、人と触れるって大事なんだなと思いました。そういう場所が作れたら…大學湯でそれを実現したいですね。

松隈:僕は銀さんとは真逆で、これからのことは全く考えてなくて。今43歳なんですけど、人生100年時代だとあと50年以上生きなきゃ、長いな(笑)と思っていて。
ただ「長生きしたい」という感覚は後回しにしている感覚があって。今日明日面白いことをやりたい、できれば早いうちに。明日死んじゃうかもしれない、と考えているので。

今後も、常に今と同じ感覚でずっといたい。今も20代の時と同じハートで、むしろ今の方が活性化しているというか、キラキラしてきた(笑)ので、80歳、100歳になってもキラキラしたり、興味もてたり、運動したり、絵を描いたり、遊びに出かけたり…そう、人との対話はすごくいいなと思っているので、そういう意味ではこれからが楽しみです。

■不安は誰にでもあるから、みんなで好きなことを楽しめる環境を作りたい

銀:私は実はずっとこういう夢に向かって走っていた訳ではなく、小さいころから漫画家になりたいという夢からスタートしてるんですが、夢を持っていた時には楽しかったし輝いていたけど、進路に悩んでいた時が合って。将来、漠然とした不安、経済的な不安があって。

だから選択肢を広げようと進学校に行こうと決めたんですけど、そこには美術が授業になくて。初めて芸術という本当に自分がやりたいことに気づかされて。そのときはすごく息ができなかったです、苦しくて。人生100年時代どころじゃなく、この世に生きていきたくない。先が暗い未来が待っているんだったら、何のために私は生まれたのか、と不安でしょうがなかった。

生きていくには、自分の内側に向き合う必要があると思います。外側からやっていくのは大事なんですけど、そればかりじゃなくて。やっぱり「楽しむ」って深いなと大人になってから思うんですけど。そこからじゃないと生きることは考えられない。今はほんとうに楽しいですし、自分がどうなっていくか見たい。そういう意味では、これからは楽しみです。

松隈:さっき銀さん、「不安」とおっしゃっていましたけど、将来への不安は今後もずっとついてきて、いつ死ぬか分からないから、キラキラが見えなくなったり、好きなことが何か分かんなくなったり、料理の味さえも分かんなくなってくるんじゃないかな。 

でも不安は誰にでもある。だからこそ、一日でも早く楽しいことをやれる環境を作り合わないと、ほとんどの人は自分から環境を作ったり、趣味や好きなことを極めたりする方向にはいかないと思うので、地域や産学官民で取り組んでいくことは大事だな、取り組みたいな、と思っています。

僕はアイドルのプロデュースもしているんですが、アイドルファンも高齢化している(笑)。
ファンを見ていて、アイドル文化に触れて、気づきましたね。ある程度お金を持っているおじさま、奥さまたちが、日本中で、アイドルを追いかけたりグッズを買ったり踊ったりしてるのは健康にいいなと思います。あの人たち、100歳になってもやめないと思います(笑)
アイドルさんも辞めない。ずっと続けている方もいるし、ファンも続いている。

僕は高齢化社会って悪いことじゃないと思っていて。
江戸時代や戦国時代は15歳から武将になっているけど、平均寿命が違うから。今の60歳は昔の60歳より若々しいんです。アイドル現場で踊っているおじいちゃんやゲームばかりやっているおばあちゃんがいても、楽しいんじゃないかな。
好きなことをやっていいと思います。それが健康につながるんだから。

■何歳になっても「楽しい」はある

松隈:僕は独学で音楽を勉強したので、その知識を伝えたいという思いから音楽スクールを運営しています。当初は若い人向けにと思っていたんですけど、80代で曲作りを習いに来るおじいちゃんがいるんですよ。DTM(パソコンなどで作曲・演奏・録音などを行う作業)で!音楽は何歳からでも始められます。
 
高齢者におすすめなのはドラム。楽譜が読めなくてもできるし、半分スポーツのようだから。見た目は大変そうですけど、そんなに体力を使わなくてもできるんですよ。手とか足とか同時に動かすから脳にいいと思いません?
あと歌。カラオケがうまくなりたいという方が来たり、小学生と60歳が一緒に発表会に出て若い子の歌を歌ったりしていますよ。そんな輪が広がるといいなと思っています。
 
銀:私は大學湯というコミュニティスペースで、自分が誰よりも楽しんで、「楽しい」を体感してもらい、そういう姿にふれた人たちもどんどん楽しくなっていって…それがだんだん波紋のように広がって、みんなが楽しくなっていた、という形にしていきたいです。
 
松隈:よく地域の方が保育園などに行って子どもの面倒を見たり、交通整理してくださったりしているじゃないですか。あれってすごくすてき。銀さんはおばあちゃん子だけど、僕は祖父母と同居していないので、ほとんど接点がなかったんですよ。
 
だから正月とか、親戚の集まりでおじいさんとかおじさんとか年配の人としゃべるのが楽しかった。今はそういうことが希薄になっているから、子どもや若い人と高齢者の方が一緒に過ごすことは必要だと思います。
 

■福岡のまちでこれから生涯かけてチャレンジしたいこと

松隈:「福岡100」のコンセプトが”何歳でもチャレンジできるまちに“ということで、僕がこれからチャレンジしたいのは、”福岡に来ないと聴けない“ライブ。
今はCDで音楽だけ聴く時代ではなくて、音楽は映像に付随していたり、街を歩いたりランニングしながら聴くものじゃないですか。福岡の街には自然に音楽が鳴っていて、福岡でしか聴けない音楽をみんなが聴きに来てくれて、もつ鍋を食べて遊んで帰ってくれる、みたいな…。
福岡に居ながらミュージシャンが食べていけて、ファンの皆さまが音楽を楽しめる…そういうエンターテインメントを、生涯かけてやっていくのが夢ですね。

銀:私は、自分の美術館を福岡に作りたいです。生きていく中で、何かあったときに見たくなる、そういう存在になったら嬉しいな。誰かの帰る場所というか…。音楽は没後も聴いてもらうことが可能だけど、絵画は所蔵の場がいるので、集大成の場所を作りたい。そこに人が来るようになれば、自分が死んでもおのずと地域が活性化し、循環が起きる流れを最終的には作っていきたいです。

福岡市:お二人とも貴重なお話をありがとうございました。
何歳でもチャレンジできるまちへ、福岡市もチャレンジしていきます!

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!