見出し画像

「自分が生ききる」その瞬間、瞬間を意識して大切なことを見失わない。小林信翠さんの最終段階までの道


◆#100レター vol.4 小林信翠さん

◆「よく生きたな」と自分へのメッセージ

——100歳の自分に手紙を書くという企画について、まずどんなことを考えられましたか?

リアルに100歳の自分というのは想像できなかったですね。一昨年、母親が76歳で亡くなり、そんなに長く生きられるかなと…。だから年齢はさておき「自分が生ききる」最終段階くらいを想像しました。

——具体的にはどんな段階ですか?
自分のことは自分でできるぐらいで、まだ会話ができる段階です。

——そこに焦点をあてたのには何か理由がありますか?

私の場合、外に出て社会とつながれることが生きている実感を得られる時なのだと。100歳ともなれば社会参画のあり方も変わっている頃だと思いますが、手紙を届ける未来の自分は、しっかり受け答えができているといいなと思いながら手紙を書きました。

——未来の自分に、まず聞きたいこととは?

人生色んなことがあったよねと、今この時のことを覚えていますか? と問いたいです。手紙は、未来の自分に何か託したい思いを書いたというよりも、よく生きたなと自分へのメッセージを込めました。

8月で53歳になります。現役世代としていられるのはあと長くても20年ぐらいですかね。100歳の自分は次の現役世代に色いろとお世話になっていることでしょう。願わくは自分の役割を全うすることができていて、心のより処であるお寺が次の人にしっかり引き継がれていてほしいです。

◆未来は現役世代を支えられる立場になっていたい

——手紙にもありましたが、2024年は年明けから本当に悲しいニュースが続きました。昔よりもこういった話題が増えたようにも感じるのですが、小林さんはどう思われますか?

本で読んだのですが、今の方が自然災害や事故などでの死亡数は減っているんですよね。日本の犯罪発生件数も激減していますし、いつでも必要な物が手に入り、社会保障もしっかりしている。とにかく昭和の戦後と比較できないくらい安全な社会で暮らしやすくなっているはずなんですが、「生きづらさ」を感じている人がとても多いです。とくに、若い人の自ら命を絶つ数の多さが、今の世のおかしさを物語っていると思います。

——そんな今の人の生きづらさ、孤独をなくすためにさまざまな取り組みをされているんですよね。
昨今言われている「無縁社会」の最も大きな要素は「孤独」です。それをなくすことが、お寺のひとつの使命だと考えています。お寺が持っているリソースって結構たくさんあるんですよ。こういう開かれた広い環境だったり、必ずここに居場所があるという安心感だったり。長くここにあり続ける時間的リソースも、ここに関わる人も。毎日本当に年齢も、性別も、職業もバラバラの色んな方がお寺にお越しになります。こんな風に異なるレイヤーの人がつながり、それぞれが持つリソースが加わることで、生きづらさを抱えた人の課題にもっとアプローチできるはずだと思っています。

——100歳までにやっておきたいと思うことはありますか?

南アメリカの先住民に伝わる「ハチドリのひとしずく」というお話が好きなんです。森が大火事になった際に、10cmほどの小さな鳥が「私は、私にできることをしているだけ」と言って、水しずくを一滴ずつ運ぶお話で。他の動物が我先にと逃げたり、無謀な行為だとハチドリを嘲笑ったりするのを他所目に火を消し続けるという。これ、不思議なことに仏教にも同じようなお話がありまして。私も、今の自分ができることを考え行動できる人でありたいなと。手紙にも書いた、やはり何でも「諸行無常」ですから、先のことは決めすぎずに、その時に大切だと思うことに目を向けていけたらなと。今は微力でもここでやるべきことをやって、未来の自分は現役世代の人たちを支えられる立場になっていたいと思います。

◆還暦になったら、骨壷をつくる

——手紙の未来の自分に答え合わせを求めないところも、小林さんらしいなと思いました。

何にも後悔していないなんて、言えないと思うんですよ。生きている上では失敗もあるでしょうし、後になってこうしておけばよかったと思うこともある。まあ振り返って後悔する分にはいいと思うのですが、その瞬間、瞬間を切り取れば「よくやった」と言えるのが理想です。そういうことの積み重ねで、100歳までの時間を過ごしていけたらうれしいですね。

——人生の先輩等というか、影響を受けた存在はいらっしゃいますか?

私の師匠である叔父ですね。名古屋の建国寺住職だった叔父のところで修行しましたので。師匠は、とても人間の機微がわかる方で、心の動きや人情についてよく教えてくださいました。困った時や迷った時は常に師匠の言葉を思い出します。一昨年、その師匠が76歳という若さで亡くなってしまいました。それから、生前こんなことを教えていただいたなと、思い出す度にノートに書き留めています。

——そうでしたか。お母様やお師匠のこともあって、100歳をイメージしにくかったのかもしれませんね。

年齢では、ですね。そうそう、師匠が還暦の時に自分の骨壷をつくられたんですよ。「あれが、私の入る骨壷だ」と、自慢の焼き物を見せてくださったことを今、鮮明に思い出しました。師匠は、書斎の一番良い場所にその骨壷を置いて生活されていて、「自分はいつかあそこに入る」ということを忘れないようにしながら勉強を続けていたんです。普通、自分の骨壷を生きている間に見ることってないですよね? 死を身近に捉えて、後悔のない今を生きているのかと、自分に問うていたのだと思います。私も、還暦になったら師匠の真似をして骨壷をつくろうと思っています。

——最後に、昔想像していた50代の人と今の52歳の自分を比べて、ギャップを感じることはありますか?

私、大学時代はラグビー部だったんですが、ここ数年、筋トレが趣味になってまして、その頃の自分より強くなっているんですよ。昔より重量が上がるようになりました。もちろん瞬発力や記憶力というのは落ちましたが、体力的には頑張っている気がします。一昨日は、趣味の登山を楽しんできました。近畿で一番高い「八経ヶ岳」へ行ってきて、今まさに筋肉痛がひどい。ただ、筋肉痛があるということは回復しようとしていることなので、すごくありがたいなと。「自分は、生きようとしている!」と感じます。

——ご自身の衰えを感じる一方でつつ、まだまだ挑戦したいことの方がまさっていそうですね。

はい!ただそう言えるのがあと何年続くかどうかですが。できれば亡くなる間際まで、「まだやりたいことだらけなんだ」と思えたらいいですね。古の人は、生きることに飽きて亡くなっていったというお話もあります。それは人生が嫌になったとかいうお話ではなくて、十分やったということ。できれば私もそうありたいなと思います。


<Profile>
本門佛立宗 長松山  光薫寺 住職
小林信翠(52)
福岡県出身。建国寺(名古屋市)において得度後、妙深寺(横浜市)にて教務兼学生、本山・宥清寺(京都)にて仏立教育専門学校を卒業。建国寺で教務を務めた後、2004年、光薫寺古賀別院の担当に就く。2008年、光薫寺副住職を経て、2015年、第5代住職となる。

SDGsおてらネットワーク副代表・公認心理師・死の体験旅行®ファシリテーター・防災士・風水害24公認ファシリテーター・お寺YOGA協会顧問