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「90 歳の⽬標は、朝ドラの名物じいさん」 関根勤さんが語る ⼈⽣ 100 年時代の働き⽅とは?

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中学 2 年から変わらないお笑い愛

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ー50 年近くタレント活動を続けていらっしゃる関根さんですが、お笑いに⽬覚めたのはいつ頃ですか?

中学 2 年から友達とモノマネの研究を始めて、他校の⽂化祭に⾶び⼊りで参加して芸を披露したりしていました。19 歳の頃には「⽬⿊五⼈衆」というお笑いグループを結成して、 2 年ほど活動もしましたよ。

ーその後 21 歳で芸能界デビューをされますが、きっかけはバラエティ番組への出演だったそうですね?

せんだみつおさん司会の番組『ぎんざ NOW!』の中で「しろうとコメディアン道場」というお笑いの⼤会があって、オーディションを受けに⾏ったら僕の後には誰もいなかったんです。ならいくらでもできるじゃないかと、中学 2 年から⼤学 3 年までのありとあらゆるネタをやりました。45 分間。そしたらプロデューサーが「あいついっぱいネタを持ってるから勝ち抜き制にしよう」と⾔い出して、僕が出演する回からルールが変わりました。それで 5 週勝ち抜いて、勝ち抜き制の初代チャンピオンになったんですよ。

ー関根さんが番組の歴史を変えたんですね(笑)。

その時の審査員に現在の事務所の浅井社⻑がいまして、スカウトされたのがデビューのき っかけです。だから僕、就職活動はしていないんですよ。この⼀連のことが就職活動になるのかもしれないですけど。

⾃分で終わりを決めることはしない

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ー60 歳を越えて、仕事のスタンスは変わりましたか?

狭い洞⽳を探検して岩に挟まっちゃったり、5 分くらいしか説明を受けずにスキンダイビングさせられたり、プロレスラーとスパーリングしたり、若い頃にやっていたような体を張る仕事はなくなりました。ただ気持ちだけは若いから、それがよくない時もあります。ちょうど 60 歳の頃、若⼿芸⼈が⼤の字になって踏ん張り、吉⽥沙保⾥さんにひっくり返されないようにするという企画をやった時に、「僕もチャレンジしたい!」と⾔ったら、吉⽥さんはレスリングの危険性を本当にわかっている⽅だから「え!関根さんがやられるんですか?」と⼼配してくださって。でも僕はどうしてもやりたかったんですよ。吉⽥さんがどれくらい強いのか知りたかった。それで結局、グッとやってくれたんです。簡単にひっくり返されましたけどね。

ー(笑)。

そしたらね、⼣⽅、脇が痛いんですよ。「あれ?昨⽇ゴルフでもしたかな?あ、吉⽥さんにクラッチされたんだった!」って。だから本当に危ないの。年々⾻も弱くなるし体も硬くなるから、ちゃんと衰えを理解して受け⼊れるのも⼤事ですよ。

ー68 歳の現在まで、仕事を続けられている理由は何だと思いますか?

やっぱり、好きなんだと思いますね。お笑いとか、バラエティとか、⼈を笑わせることが。いつまでと⾃分で終わりを決めることはせず、オファーがなくなるまでは続けたいと思っています。いちばんかっこいいのは、死んでオファーがなくなること。「もうちょっと⼀緒に仕事したかった」と⾔われたら本望ですよね。

ー職業柄、幅広い世代の⽅と触れ合う機会も多いと思いますが、影響を受けることはありますか?

もともと⼈間に興味があるので、⼈間観察も好きだし、話を聞くのも好きです。これは調査というか、僕にとっては研究の⼀つなのですが、若い⼈と会った時には、どのくらいまで昔の芸能⼈を知っているかをインタビューするようにしているんです。「え!この⼈も知らないの!?」とか、ショックなんだけど、時の流れをしみじみ感じることができて興味深いですよ。

感謝や謝罪を素直に伝える

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ー年齢を重ねたことで、⾃分⾃⾝の変化も感じますか?

55 歳になって急に、感謝が⾜りていないことに気づいたんですよ。当時、チーズの⼊ったパンが⾷卓にありましてね。毎朝紅茶と⼀緒に⾷べて「チーズパン美味しいね」なんて呑気に⾔っていたんだけど、『笑っていいとも!』の収録に向かう⾞の中で、あのパンはただ家にあるんじゃなくて、僕のために妻がわざわざ⽤意してくれているものだと気づいたんです。「お⽗さんはこのパンが好きだから買って帰ってあげよう」と、トングでね、ちょうどいい握⼒でね、パンを潰さないように持ってね。

ー奥さまの思いやりに改めて気づかれたんですね。

それは当たり前のことじゃなくて、妻の好意ですよね。それですぐ電話して、「毎朝⾷べてるチーズパンさ、いつもあなたが僕のために買ってくれてるんだよね?今まで気づかなくてごめんね。ありがとう」と⾔ったら、妻が「あなた死んじゃうの?」って。ちょうど⼈間ドックの結果が出る頃だったから、何か悪いところがあったんじゃないかと思ったみたいで。結果はすごく良好だったんですけどね。

ーいきなり⾔われると不安になるかもしれないですね(笑)。

⼈⽣ 100 年時代と⾔っても、55 歳だったら折り返し地点を過ぎちゃってるから、今のうちにいろんなことを謝ったり、感謝を伝えておかなきゃと思ったんですよ。⼩堺⼀機くんにも「20 年くらい前にさ、『さっきから何回もそのギャグ繰り返してるけど、そんなに⾯⽩くないよ』なんて⾔っちゃってごめんね」と⾔ったら、「俺覚えてないわ。そんなのいいよ」って(笑)。⼩さなことだけど、年齢を重ねると周りが⾒えてきて、違った⾓度から物事を考えられるようになるんだなと思いましたね。

太陽の光を浴びて野菜を⾷べる

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ー100 歳まで⽣きられるとしたら、どんなことをして過ごしたいですか?

ひ孫に会いたいですね。娘の⿇⾥はもちろん可愛いし、孫も本当に可愛い。ひ孫になるともうどれだけ可愛いのか想像もつかないから、会って確かめたいです。

ー仕事⾯ではどうですか?

現役で頑張って、90 歳くらいになったら朝ドラのヒロインをなぐさめる年寄り役をやりたい。健気に⽣きている主⼈公がうまくいかなくて悩んだ時、タイミングよく現れては⼼を洗っていくみたいなね。⼤河ドラマはちょっと⼤仰なので、いいです。

ー結構です、ということですか(笑)?

そう(笑)。⼤変そうだから、僕にはまだ荷が重いです(笑)。

ー関根さんは、クスッと笑えるエッセンスを⽣活の中に散りばめながら、毎⽇を楽しく過ごされていますよね。そこには⼈⽣ 100 年時代をより豊かにするヒントがたくさん詰まっているように感じました。それでは最後に、アラカン世代へメッセージをお願いします。

まずは太陽を浴びてください。1 ⽇中家にいることのないよう、15 分でもいいから歩く。そして野菜をしっかり⾷べること。僕も数年前に⾎管の⼿術をしましたので、同じことにならないよう気をつけています。あと先程の吉⽥さんの時みたいに良し悪しはあるけど、気持ちを若く保っていただいて、読書でも映画でも、集中できることを⾒つけてください。僕は週に 1 回のゴルフが⽣きがいです。楽しめることなら何でもいいんですよね。そうやっていきいきと⽣きていきましょう。

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プロフィール
関根 勤
1953 年⽣まれ、東京都出⾝。浅井企画所属。21 歳で芸能界デビューを果たし、数々の⼈気番組に出演。『森⽥⼀義アワー 笑っていいとも!』では、司会のタモリ⽒を除いた全レギュラーの中で歴代最⻑の 29 年間出演した。1989 年には劇団「カンコンキンシアター」を⽴ち上げ、テレビ出演以外の活動も⾏う。

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